2009年8月23日(日)
von Leipzig nach Munich

ライプツィヒ から ミュンヘン へ
 今回の旅行の後半は、8月24日昼にアウクスブルグに集合することからはじまる。この日程を動かせないので、ワイマールやニュルンベルクに立ち寄ることは断念した。都市をつまみ食いするよりは、鉄道の旅を時間と距離、ともに長く楽しむ方を選んだ。

 ホテルの朝食レストランには和食もあったが、日本人には会わなかった。外光が差し込まないつくりなので、朝のすがすがしさを感じされないのが残念。
 チェックアウトを10:00と知らせておいた。荷造りに手間取り、その時刻を過ぎたら、客室係がドアをノックしてきた。

ニコライ教会
 ホテルに荷物を預け、ニコライ教会をもう一度尋ねた。
 日曜日で集会をやっている。ミサだろう。入り口におばさんがいて、入場者を選別している。単なる見学者は入れないようだ。
 アウアーバッハス・ケラーにも寄ってみたが、観光客が写真を撮っていた。
 日曜日だからか、11:00近いというのに、街は眠りから覚めてはいないようだ。

聖トマス教会
 ヨハン・セバスチャン・バッハゆかりの教会。わたしとバッハの関係といえば、モテット5番のベース・パートをチェンバロの伴奏付きで歌ったことがあるだけだ。細かい音符を刻んでおり、リズムどりに苦労したものだった。
 バッハの像があるそばの入り口から中を見る。まだミサをやっていたが、出入りは自由のようだ。


 入ってすぐに目に付いたのは、オルガン演奏の中、楽譜に目をこらす男子学生の姿だった。「オルガン奏者をめざす留学生なのだろう」と想像した。


 ところが、ほどなくして、正面入り口に廻ってみると、彼が見入っていたのは、参加者に配布されるパンフレットだとわかった(爆)。


 祭壇の向かい側にパイプ・オルガンがあり、横の壁にもステンド・グラスがはめられている。
 祭壇の手前には、バッハの棺が埋められているそうだが、その前にロープが張られ、スタッフが見学者を阻止していた。


 正面玄関すぐ前の公園にはメンデルスゾーンの像があった。


 生まれたばかりの赤ちゃんを中心とする一団がいた。洗礼を受けるのだろうと想像したが…。


 新型車両と旧型車両を連結したトラム。後ろはオペラ・ハウスかな。<写真右>は新ゲバント・ハウスかな。


 <写真左>郵便ポスト。<写真右>ウインドゥ・ショッピングで見つけたカラー・サンダル。日本で売られているものと同じだ。だが、実際にはいている者はみかけなかった。そりゃ、そうだよなぁ。


 日本では総選挙の真最中だが、ドイツでも9月に連邦議会議員選挙があるという。三党のポスターが並ぶのは珍しい。FDP(自由民主党)、CDU(キリスト教民主同盟)、SPD(社会民主党)の三党だ。
<写真右>ホテル・アストリアと読める。ハウプトゥ・バーンホフとウェスティンの間にある。じつは、このホテル、すでに廃業している。1階部分は落書きがひどい。ここライプチヒは、旧東ドイツの街。表通りを歩いただけではわからない、負の町並みもあるはずで、この選挙区の争点になることだろう。



nach Munich ICE 309
 行き止まり式のライプチヒ・ハウプトゥ・バーンホフは、構内に店舗も多く、なかなかの賑わいだ。
 カットされたイチゴとスイカのパックを購入。紙幣で支払ったら、釣り銭はコインで、ジャラジャラと渡された。


 ICE 309。ベルリンからの基本編成が到着して、増結編成がやって来た。ホーム係員のいない中、自動連結。増結編成に乗車する。


 4人用ボックス席に陣取ったが、すぐに指定券を所持した客が現れた。網棚の表示部には掲出されていないが、D氏が確認し、たしかにこの席だというので移動した。直近に購入したので表示されなかったのだろう。後客は「済まない、済まない」と低姿勢だった。

ICE 309 のルート
 隣の車両のテーブルが広がる席に移動する。
 通常は2席に1枚くらいの割合で、「当該列車の時刻表」が置かれているのだが、この列車にはそれがない。別の列車番号のものが置かれており、そのことを指摘すると女性車掌が回収してしまった。そして309列車のものはないと言った。
 旅行記を書くに際し、吟味していると、この列車のルートが相当に遠回りであることがわかった。DBサイトで確認しようとしたが、この列車番号はもはや存在していない。D氏が『トーマス・クック』から、その理由を見つけ出した。われわれが乗車したとき、通常ルートが工事中のため、特別ルートを通っていたのだ。列車時刻表が用意されていなかったのは、そのためだったのかも知れない。

 ICE309は、ベルリン・ハウプトゥ・バーンホフからやって来て、エアフュールト、ビュルツブルグ、ニュルンベルグ、インゴルシュタットを通って、ミュンヘン・ハウプトゥ・バーンホフまで行く。5時間、○○qの旅だ。

● トンネルの秘密
 日本のトンネルの多くは、出入り口は垂直に切り落とされている。列車が進入すると反対口ではドーンという衝撃波が発生する。乗客の耳もツーンとなる。
 ドイツでは耳ツンはなかった。トンネルの出入り口が斜めになっており、そのために、衝撃波が発生しないのだという。<写真左>の右端、トンネルの壁が斜めになっている。<写真右>壁上部の緑の植物が斜めに下っているようには見えないだろうか。
 出入り口を斜めにするくらいの改良、日本で、すぐにできないのだろうか?


出前サービス
 <写真左>網棚下の「人型」ボタンを押すと車掌がやってくる。この日の担当は、注文取り、車内改札、チョコレートと三度やって来ていたが、物腰が穏やかとはいえない、ぶっきらぼーな感じの細身の若い女性だった。
 D氏がビュッフェ・サービスを頼みたいというと、「食堂車に行けばいいじゃない」と応じる。「だって、サービスすると、メニューまで置いてあるじゃないか」と言えば、「仕方ないわねぇ」と言わんばかりに引き受けてくれた。
 件の女性車掌は、トレーを使って器用に運び、代金引換で、大きながま口を持ち出し、精算して、しっかりとチップも受け取った。
 <写真右>わたしが頼んだのは、トマト・ズッペ。具だくさんのトマト・スープだ。ドイツ語ではSを濁って発音する。ズッペとか、ゼー(海)となる。わたしはこの濁りが嫌いだ。


再会の抱擁
 ドイツでは、人出が集中しないように州ごとに夏休みの時期をズラしているという。この地域の夏休みなのだろうか。停車駅ごとに、ホームでは抱擁が繰り広げられた。
 ビュルツブルグで。


 ニュルンベルグで。


 インゴルシュタットで。


● 車窓風景
 南下するにつれて、丘陵地帯の起伏が大きくなり、風光明媚になってきた。<写真左>斜面ではブドウが栽培されている。<写真右>トウモロコシ畑の道をウォーキングするカップル。丘陵地帯で人影を見ることは珍しい。


 <写真左>名も知らぬ街。集落の中心には教会の塔。 <写真右>ドイツの川には河原がない。


 <写真左>貨物ヤード。わたしがカレンダーを愛用する海運会社のコンテナも見える。 <写真右>アウトバーンと併走。列車の方が速かった。




Munich Hauptbahnhof
 左をみればICE、右をみてもICE。胸躍らせてシャッターを切った。


 上階にあがり、ホームを見降ろすと、I CEの向こうにはさらにRGも。


 Intercity Hotel 左の端がハウプトゥ・バーンホフの脇玄関。バーガーキングを過ぎるとホテルの玄関。<写真右>ホテルの自室から窓下をみる。

 このホテルの宿泊客には、市内一日乗車券が提供される。
 それを使って、目的地をめざす。ちょっと迷い、ガイドブックとにらめっこしながら、バスに乗り直したりして、やっとたどり着く。

■ Munichの象徴、旧市役所。


Hofbrauhaus
 ナチスゆかりの酒場。ミュンヘン一揆のころ、この建物のどこかで、決起集会が開かれたらしい。


 客席への案内はない。自分で席を探す。相席するには勇気が要る。たまたま誰も座っていないテーブルがあり、結局、そこに座る。
 座ったはいいが、係が来ない。同じ女性が何度も通る。周辺のテーブルにサーブもしている。きっと彼女がこの区画の担当に違いないのだが、合図をしても立ち止まってもくれない。彼女がやっとやって来た。注文の品を配膳し終わり、手が空いたのだろう。しばらくして、注文の料理がそろったころ、精算を頼んだわけでもないのに彼女がやってきた。「もう勤務が終わるので、精算してほしい」と言うのだ。
 「ドイツでは、客を客とも思わない。係のペースに合わせて行動するのが、イライラしないコツ」と同行のD氏から折りに付け、諭されてきた。それに従えば、目くじらを立てるほどのことはないのだが、そんなぞんざいな対応をしても構わない客と思われたとすれば、悔しい限りだ。東洋人に対する蔑視もあるのだろう。
 楽団の生演奏があり、中央の客席はそれに合わせて盛り上がっていた。
 特大のブレッツェル。売り子がこれだけを売って歩いている。かけ声はない。D氏は早速購入して、ご満悦。
 ここには、子どもメニューもある。ビアホールに子ども連れで入るなんて、日本では考えられない。ドイツならではなのだろう。Tシャツなどの記念品も売っている。それだけ、観光客が多いのだろう。


 コースターの表裏。1612年開業なのだろう。


 店の周囲にサッカーショップが2軒あった。バイエルン・ミュンヘン専門と他チーム全般という感じに別れていたと思う。周囲の雰囲気はよくなかったし、のぞかずに通り過ぎた。ハウプトゥ・バーンホフ周辺にショップがあるだろうし、そちらの方がぼられることは少ないと思えたからだ。

 ホテルへの帰路は地下鉄。ハウプトゥ・バーンホフ方面の乗り場がわからず。いったんホームに降りたが、やって来た列車の行き先が違う。また地平に上がり、そこにいたPolizei に聞く。指さす方向にある階段を降りようとしたら、声がかかり、もう一つ先だという。
 さっきよりも深いところに別のホームがあった。地下が二層になっていたのだ。そこに所期の列車がやってきた。


 ハウプトゥ・バーンホフの地平へ上がり、DB構内で水を買う。口をついて出た言葉は
Wasser without gas. だった(苦笑)。(09.10.18記)

 ホテルについては、こちら